おひさしぶりです。

こちらでは随分とご無沙汰していました。ものです。

最初の記事を書いたのが2012年。そして現在は2018年。
2015年でハンパに中断されている記事。性格が如実に表れている。

5年あまりの時間で親との関係や私自身の心境は怒涛の変化を遂げた。

そもそもこのブログは、長年一人で抱えてきた「新興宗教二世であること」の悩みを整理し、乗り越えたいという思いで開設した。
乗り越えられたかどうかは分からないが、紆余曲折を経てある程度は決着がついたと言って良い。
当初は身バレを恐れ宗教名を隠して記事を書いていたが、もう隠す必要は一切ないのでこの機会に曝け出そう。

宗教の名前は「統一教会」。現在は名称を変え「家庭連合」と呼ばれている。
ただし私が渦中にいた頃は紛れもなく「統一教会」であったので、敢えてその名称を使い続けたい。

両親は若い頃に入信し「合同結婚式」と呼ばれる教祖による結婚の儀式によって夫婦として結ばれた。
その両親から産まれた私と弟は「祝福二世」と呼ばれ、独自の教育を施された。
私は祝福二世の中ではかなり上の世代であり、地方に住んでいたこともあり同年代の二世はいなかった。
幼い頃は仲が良かった弟ともいつしか疎遠になり、親との関係はこじれ、一人で長年悩み続けた。

悩みすぎて気が狂いそうになった20代半ばの私は、このブログを開設する少し前にツイッターアカウントを作成した。
そこで率直な思いを吐露し、同じく新興宗教の問題で悩むフォロワーからリプライを貰うことにより、新たな気付きや視点が芽生え、自分の内部でこねくり回していた悩みは可視化され整理されていった。
何よりもネット上とはいえ正直な気持ちを曝け出せる場があることがありがたかった。

当時はほとんど見当たらなかった同じ祝福二世のアカウントは、5年の間で激増した。
もちろんまっすぐに信仰に燃える二世もいたが、多くの二世はかつての私のように社会と教会の狭間でもがき苦しんだり、親との関係に悩み、恋愛や結婚の問題に直面していた。
親と同じ信仰を持たなかった宗教二世の苦しみというものは、当事者でないと理解できない複雑さを抱えている。

私はあの頃、話を聞いてくれる人間が欲しかった。
誰にも言えない苦しみを他者と分かち合い、圧し潰されることなく乗り越えていける力が欲しかった。
もしも私個人が経験したことが少しでも参考になるのならと思い、再びブログを書こうと思った。
かつての自分が一番言って欲しかった「あなたは一人ではない」という言葉を発するために。

何よりも私自身が大きな一歩を踏み出し、自分の人生を自分のものとして歩めるように。

再びこの場で「統一教会の祝福二世であったこと」に対して向き合おうと思う。




※基本書きたい時に書くスタンスなので不定期更新です☺
 Twitter(@MONO_ISHI)も引き続きよろしくね。

実家を出た。

最後の記事を書いてから大分時間が経った。

2014年6月末、私は遂に実家を離れ長年の悲願であった一人暮らしを始めた。

とはいっても実家から車で30分ほどの場所に安アパートを借りたのであるが、今までの人生で一度も両親と離れて暮らしたことのない私には大きな第一歩だった。
実家を出ようと思ったきっかけは父と弟の就職という経済的な理由だった。
両親には無論抵抗されたが、直前まで内密に物件探しを進めていると順調に事が運び、意外なほどスムーズに実家を出ることが出来た。

一人での生活は天国のようだった。

それまで何をするにも両親の顔色を伺っていたが、一人で暮らすとなると好きな時間に好きなことをして好きな人と会うことができる。
教義上飲酒が禁じられていたため自宅では酒を一滴も飲めなかったが、自分のアパートでは好きな時に晩酌を楽しむこともできる。
料理や掃除など普段は面倒な家事でさえ楽しかった。

生まれて初めての自由を謳歌していた私は、一時的に家庭の悩みを忘れることが出来た。

だが、生き辛さは常に付いて回った。
何処にいても誰といても違和感や疎外感を感じるのは変わらなかった。

2つの世界を長期間行き来した結果、独自のものの感じ方や価値観が形成されてしまったようだ。
きっとここは、その価値観が合う社会ではないのだろう。

5 最大の禁忌を犯す。

大学を卒業した後も実家から通える距離の職場に就職し、両親との同居が続いていた。

就職して間もなく、わたしはあれほど両親から口酸っぱく言われていた一つのタブーを犯した。

親の宗教の悩みについて初めて深く相談に乗ってくれる男性に出会い、日常的に相談を重ねる中でいつの間にか恋愛感情に近いものを抱くようになっていった。
親の監視を潜り抜け何度か会っていたが、ある時彼と付き合っていることが携帯を盗み見た母にばれてしまったのだ。

私達のような二世信者が異性と付き合うことは最大のタブーである。

両親はこれまでにないくらい酷く激昂し、怒り狂い泣き叫んだ。
携帯は即没収され、携帯電話会社に掛け合われ着信発信履歴を調べられた。
相手には「娘を誑かしやがって、この悪魔が!」「会社にいられなくしてやる!」と電話で罵倒し、相手の会社にも電話を掛ける勢いだった。
見たこともない両親の姿を前に、ただ狼狽し平謝りをするしかなかった。

仕事の終業時間になると職場の駐車場で待ち伏せされファミレスにて詰問が始まる。
そもそも付き合っているのか、何回会ったのか、どこまで関係が進展しているのか、セックスはしたのか。激しい口調で興奮しながら問い正された。

特にセックスしたのかどうかは何度も執拗に聞かれた。
実の父親から「男はとにかく挿れたいもんなんだよ」という台詞を聞いた時は吐き気を催した。
前述した通り、結婚相手以外とのセックスが最大の禁忌である教義ゆえ「物理的に挿れたのかどうか」それがひたすら重要なのである。
二世である娘が一般人とセックスしたら自分達の築いてきた救いの基盤は全て無に帰すのだ。
彼らが形相を変える気持ちも分からないでもない。

母もよほど苦しかったのだろう。
「お前がもし堕落(セックス)したら私達だけじゃない、先祖も一族も皆が地獄に落ちる。地獄の底の地獄だぞ!」「この色狂いが!キチガイが!人間のクズが!」
毎日毎日、家に帰ると執拗に罵倒を受けた。行動は逐一監視され、「お前に探偵をつける」と脅される。

この期間中、何度も親とわたしとの間で話し合いの場を持った。
これを好機ととらえ、両親には宗教に対しての率直な思いを何度もぶつけてみた。
「今まで宗教がらみでとても辛い思いをしてきたこと。恋愛がしたかったわけではなく、教会と親に関しての相談相手が欲しかったこと。わたしはこの宗教の信仰を持つつもりはないこと」
言葉を選び彼らに伝えたが、両親が理解を示すことはなく話はいつまで経っても平行線だった。
まずもって、神の血統であるわたしが一般人のように生きるなど考えられないことらしかった。
彼らの意識はただ一点のみに向いており、ヒステリックに堕落(セックス)の恐ろしさを延々と説いた。

絶望と諦観だけが体中を埋め尽くしていった。
ああそうか。この人達にとって一番大切なのはわたしが処女だという事実か。
一本の道。それしか許されないのか。
となると、死ぬまで娘が処女だと思わせ続けることが今出来る最大の親孝行か。
せめてこの人達が死ぬまでは「祝福」のみならず一生結婚などするものか、と心に誓った。

父は仕事もせずわたしを監視する日々で、収入も少なくなっていった。

ここまで読んで、何か違和感を感じないだろうか。

その頃わたしは22歳。大学を卒業したばかりとはいえ一端の成人であり、微力ながら収入もあった。
当時交際していた彼は、両親に嫌がらせを受けてもわたしから離れず辛抱強く話を聞いてくれた。
「俺の所に逃げてきなよ」と何度も言ってくれた。

普通の人間であれば、ここで家を出るらしい。



わたしには一人弟がいるが、弟には何度も「姉はバカなの?何で家出ないの?あのカルト親に話通じるわけないじゃん」と言われた。
弟は私と違ってとても賢かった。彼も、宗教の信仰は皆無であるが、早期に両親や宗教の異質性を見極め、大学に入る頃には完全に距離を置いていた。
とにかく親元を離れたかったらしく、さっさと遠方の大学院に進学してしまった。

だが、わたしにその力はなかった。
まだ学生である弟もいる上、騒ぎを起こし家計を火の車にした責任を感じただ収まるのを待つしかなかった。

…というのは只の表向きの理由で、これ以上の変化を起こすことが怖かった。
異性と付き合ったことや親に嘘をついてまで会ったり連絡を取り合っていたことは「もう教会に関わりたくない」という意思表示であり、小さい反逆のつもりだった。
しかし結果的には予想以上に両親を傷つけてしまった。
大好きな親をこれ以上は悲しませたくなかった。
そして何より、これ以上の何か変化を起こすことが、とても怖かったのだ。

罵倒されながら仕事に行って、帰るとまた罵倒され、それでも隠れながらずるずると相手との連絡を続けた。内容は親や教会の愚痴が殆どだった。
相手は何も言わずに聞いてくれたが、最終的に分かり合えることはなかった。
蓄積されてきた恋愛への恐怖は予想以上のもので、最初から最後まで純粋な恋愛感情を抱くことは出来なかった。
彼を心の拠り所とし大切な存在と感じていたにも関わらず、最後まで「これは恋愛なんかじゃない」と自らに言い聞かせていた。

恋愛沙汰で家族を騒然とさせた数年間はとても辛く苦しい期間だった。正直、思い出したくもない。
その間に父のリストラなどが重なり、実家を出ることは更に困難を極めた。

母は時折思い出したように「また罪(男女問題)を犯してるんじゃないか」「あの時あんなに苦しい思いをさせて」と私を問い詰めた。
彼女にとって、穢れのない神の子のはずの娘が勝手に堕落した世界の恋愛などに身を投じたことは相当のトラウマになっているらしかった。

20代半ばを過ぎると、周りの友人は次々に結婚していった。
彼氏を親に紹介したり親に祝福されながら結婚している友人を見ると純粋に羨ましくもあった。

両親は友人の結婚の話を聞くと「神様を介さない一般の結婚なんて最悪だ」「あんなのすぐに別れる」と痛烈に批判した。
また「貴方の相手は決まっている」「だから祝福(二世同士の結婚)を受けられるように、早く教義を学びなさい」と繰り返した。

将来的な事を考えればこのまま独身を貫くのは不安があったが、祝福も一般の結婚もどちらも考えられなかった。
一般の恋愛結婚を選べば大好きな両親を絶望の底に突き落とす。
何より恋愛はもうこりごりだった。
前述したトラウマに加え、相手が一般人の場合は相手側に掛ける迷惑とリスクが大きすぎる。

だが、祝福を選べば教会とのパイプが強固になる。何より私自身の信仰心が皆無なのだ。

恋愛・結婚うんぬんよりも何よりも実家を出て一人暮らしし、自活するのが先決だという結論に達したが、わたしは未だにそれを実現できていない。
表向きは父の離職の多さなど実家の経済状況を盾にし、実家に居続けている。

4 思春期におけるアイデンティティの揺らぎ・気づき。

中学・高校に進学すると、教会への足が段々と遠のいて行った。

礼拝のある日曜日も勉強や部活等で忙しくなったことや、教会に同じ年頃の二世の友達もいなかったことなどが理由だった。
また生活の中で学校や友人との関わりなど一般社会の比重が大きくなる中で、段々と親や教会への疑問も芽生えていった。

「そもそも、教会が言っていることは本当に正しいのだろうか。」
「神様は本当に存在して、教祖は救い主なのだろうか。」
「わたしは周りに比べ特に秀でている訳でもないのに、そんなに価値のある人間なのだろうか。」
どれだけ考えてもわからなかったが、二つの世界を行き来しながら二つの顔を使い分けることが辛いことは変わらなかった。

小さな違和感の芽は年を経るごとに膨らみ、教会への嫌悪感が強まっていった。
両親は恋愛のタブーすら破らなければ、イベント時以外は無理に教会に連れて行くことはしなかったが、時折自宅で教義の勉強をしたり、修練会と呼ばれる泊りがけの勉強会には参加しなければならなかった。
常に外と内との狭間、いわゆるグレーゾーンで揺れている状態だった。

組織への献金と父の仕事の不安定さにより家計は常に火の車だったが、両親は私と弟を高校・大学まで進学させてくれた。その点は感謝してもしきれない。

最初の転機が訪れたのは大学に入学した後だった。

地元の公立大学に進学したため相変わらず実家暮らしではあったが、大学でPCが使えるようになり、インターネットでこの宗教に対する世間の一般的な評判を知ったのだ。
世間での評価はあまり良くないであろうことは薄々感じていたが、実際ネットに広がっている酷評は想像を上回るものだった。
「破壊的カルト」「洗脳」「詐欺行為」といった言葉が縦横無尽に巡り、教祖家族の実態を含め真偽の入り混じった誹謗中傷が書かれていた。
思えばネットには中立的な情報は少なくほとんどは反対派が書き連ねたものであったのだろうが、頭を打ち砕かれるほどのショックを受けた。

小学校に入学して間もない頃、芸能人が続けざまにその宗教に入信しマスコミに騒がれ、母親が「あんな根も葉もない事をテレビで流して…」と毎日泣いていたことがある。
大好きな母親を泣かせる「外の世界」に憤りと哀しみしか覚えなかった。
その頃の気持ちが蘇り、自らの出生を、はたまた存在をも否定されている気分になった。
まだ心のどこかで自尊心を保つために縋っていた「神の子」であることのアイデンティティーが、音を立てて崩れていくようだった。

わたしは熱心な信者同士から産まれた。
言い換えれば、この宗教がなければ産まれてこなかった。
両親はたった一つの事を願い、わたしや弟をこの世に生み出した。
だが当の宗教は世間ではこんなに悪名高く、こんなに被害者がいて、家族の会まであって訴訟も多い。

何が間違っていて、何が正しいのか。

小さな頃から様々なことを制限され、親の監視下で「神様が喜ぶように」「神様の御心に添うように」と刷り込まれ自らの自由意思などなく抜け殻のように生きてきた。
母のように好きでもない男と結婚させられ、一生この宗教に縛られて生きていくのだろうか。

何のために生まれたのか。何のために今まで生きてきたのか。
これから、どうやって生きていけばいいのか。

入り乱れる情報のように気持ちが錯綜した。

悩んだ末に、相談相手を求め大学の信頼できる先生に何度か思いを吐露したことがある。
しかし皆「親の宗教ごときで何をそんなに悩んでいるのか。自立すればいいだけだ」「親は親。貴方は貴方。最終的には貴方が決めることだから」と口を揃えた。
今思えば至極正論ではあるのだが、長年味わってきた苦しみと葛藤への結論がその一言で済まされてしまうことに納得がいかず「どうせ皆わたしの気持ちを分かってくれない」と落胆し、更に内に籠っていった。
何人かの友人に家庭の悩みを話したこともあった。彼らは私の理解し難い話を最後まで真剣に聞いてくれたが、「かわいそう」「宗教の問題は難しいよね」と気まずそうな顔をするだけだった。

両親に葛藤を抱いている率直な思いをぶつけたこともある。
だが、話は全く通じなかった。
少しでも教会を否定する言葉を漏らすと「お前は神様の願いに答えず、自己中心的に生きるつもりか!サタン(悪魔)の考え方だ!」と鬼の形相で怒り狂った。
こうなると全く話は通じず、教会内でしか通じない用語を持ち出し、教会内でしか通じない価値観で説教を始められる。
「言葉は通じるのに話は通じない」という状況は不思議な徒労感を産むものだ。
何度も両親との「話し合い」を繰り返したが、得られるものは何もなく「ああ、大切な肉親なのに、この人達とは一生分かり合えないのか。」という諦観と絶望が増すだけだった。

長期休暇中には何度か強制的に泊りがけの修練会に参加させられた。
学生の時分は経済的に依存しているため、なかなか親にも逆らえない。
「(修練会に)行かないと学校やバイトに行かせない」と脅されると、従うしかなかった。
両親にしてみれば、成長していく娘が一般社会に身を置いているのにもかかわらず、いつまで経っても自らと同じ信仰を獲得しないことに焦っていたのだろう。
しかしあくまでも修練会への参加動機は「親に言われたから」であり、教義を聞いても枯渇している心が潤うわけでもなくただ教会や親への反発心は強まっていくばかりだった。



宗教への混沌とした思いがようやく氷解したのは、大学を卒業する少し手前の頃だった。

大学四年の一年は国家試験や卒論など様々な事が重なり大変忙しい時だった。
だが、それ以上に精神状態は最悪で将来に何の希望も見いだせず「一生この宗教に縛られて生きていくのか」という思いに縛られていた。

大学四年の冬、世界中から多くの信者が集まる大規模な集会が海外で行われ、家族と共に参加していた。
巨大なホールの中で大勢の信徒ともに、虚ろな目をしながら全く心に響かない指導者の説教を聴いていた。

指導者は話の中で何度も「一つの思想を持ち、この堕落した世界を統一する」と説いていた。
たった一つの絶対的な「理想」に向かう、善と悪の二つしか存在しない世界。完全なる勧善懲悪。
ふと考え直した。
世界には数えきれないほどの人がおり文化があり思想があるのに、それを統一?世界が平和になるためはそれしかない?そもそも、そんなこと本当に可能なのか?

何かが違うと確信した。

ああそうか。
「絶対的」なものなどないのだ。
わたしが今まで真実だと思ってきたものは、全てある意味虚構だったのだ。
いや、無論真理はある。だけど、絶対的に普遍的な真理などないんだ。
無数にある「真理」の中で何を選び取っても間違いではなかったのだ。

酒を飲むことも、人を好きになることも、結婚して子どもを作ることも、自分の好きなことをして、好きなように生きることも。
選び取った後の世界では、ごくごく普通のことだったのだ。
そうか、わたしは血統が転換された神の子でもなんでもない。
その価値は組織内でしか意味を持たず、対外的には信者同士から生まれたただの人間だったのだ。

憑き物が取れた思いだった。
そして「この教えを信奉することは一生無い。」「絶対的なものを信奉することはない。」と確信した。
自分が特別な存在ではなくただの人間だと知ったとき、刷り込みから解き放たれ、とても精神的に自由になった。

外の世界は教会や親の言うような、そんなに悪いものではなかった。確かに哀しいことも多いが、多様性を許容することも人としての成熟なのではないのか。
世界には確かに、自分の力ではどうしようもないことも存在するのだ。
教会の掲げる世界の暗部を須らく正そうとする高尚な理想は、わたしにはどうしてもしっくり来なかった。

洗脳から解き放たれたのは、大学で色んな考えを学び様々な人と関わったことが大きいと思う。
今思えばこのモラトリアム期間は、社会という大海への航海に出る準備期間であると同時に宗教の呪縛から解き放たれるために必要なものだった。ただ、もっと早い段階で気付けばよかったと悔やまれるが。

ちなみに、信者が知を得ること、つまり様々な情報を得て「賢く」なることはカルトにとって脅威のようだ。
特に両親のように古株の信者は、自ら外界からの情報を規制し信仰心を貫いているように思う。
実際両親が教会の書籍以外の本を読んでいるところを見たことがない。
彼らにとってこの宗教の教義は揺るがない真理で、世界のすべてであり、他のものなど心を惑わすだけで読むに値しないのだ。


さて、教会や宗教への思いはある程度踏ん切りがついたものの、
わたしが宗教から距離を置くごとに両親との確執は酷くなり、関係は年を経るごとにもつれていった。

3 「神の子」として生まれ、育つ。


やはり生来の不精って治らないんですね。

ブログはじめるお!と意気込んだはいいものの早速長い事更新が滞っていました。忘れ去られた頃に再開します。

まあ、その前に少し閑話休題
どうやら現役信者の方も見てくれているようなので、ちょっと事前に弁解しておきます。




教義の説明をかなり端折ってしまったので、
この宗教をあまり知らない方に誤解を与える面があるかもしれません。
更に教義自体の理解も不十分ですし、どうしても私情を挟んだ悪意のある表現をしてしまうのは事実です。

ただ、このブログの目的は実際の姿や教義を公平に伝えることではなく
「とある新興宗教信者の子どもとして産まれた」わたしが抱いだ悩みを主観的に記すことにあります。
ですから敢えて宗教名を伏せています。……まぁ、すぐに特定できそうですが。
いずれにせよ、あくまで全て個人の主観であることをご了承ください。

この宗教そのものや信者の方々を否定する気は毛頭ありません。
宗教自体は個人の心の問題ですから、正誤や善悪で図れるものではないと思います。
一つの事象でも解釈は人の数だけあります。

それを踏まえた上で、生暖かい目で見守ってくだされば幸せに思います。
それでは前回の続きを。


両親が互いの結束を固め始めたきっかけは、わたしと弟が産まれたことだった。

教祖によって結ばれた信者同士から産まれた子どもは「悪魔の血統か
神の血統に転換された子ども」として組織内の人間から特別視され「二世」と呼ばれる。

両親も周りの信者も、わたし達の誕生をとても喜び、目に入れても痛くないほど溺愛した。
我が子が生まれただけでも嬉しいのに、何せ“人類史上初めての原罪のない「神の子」”なのだ。
二人の間にあった確執は、信仰の結実としての二世が産まれた事で少なからず解消されたようだ。

幼い頃住んでいた土地は信者数も多かったため信者専用の寮があり、小学校に入学するまでの期間はその寮に住んでいた。
寮内には複数の家族が住んでおり、同じ年頃の子ども達と兄弟のように毎日仲良く遊んだ。
寮そのものが一つの家族のように和気あいあいとした雰囲気だった。

宗教による生活習慣は産まれた頃から根付いており「信仰」に似たものは
何の疑問もなく育まれていった。
神様や教祖を慕い、毎晩お祈りをして、周りの皆と神様を讃える歌を歌い、ニコニコして過ごした。

両親や周りの大人は「やっぱり神の子は違うね」ととても可愛がってくれた。
とても幸せだった。
拠るべきものはただ一つであり、「善か悪か」「白か黒か」しか存在しない世界だった。

だが、ある時から私達が住む世界の外にもう一つの世界が存在することを知った。
神様を知らない人たちが支配する悪の世界という。
その世界にある、つまりは一般社会にある幼稚園に通わなければいけなくなった頃から生活は陰りを帯びはじめた。

初登園の日、周りの子と一言も口をきくことができなかった。
「わたしは神の子なのに、こいつらは悪魔に支配された子なんだ。」
という自意識で周りと関わることが出来なかったのだ。
思うに、あの頃からとても自意識過剰で不器用だったのだろう。
ひとたび寮に帰ると別人のように明るく他の子ども達と話していたという。

結局、卒園の日まで幼稚園の友達は一人もできなかった。

小学校に上がる頃には、親の都合で遠く離れた地方に越すことになる。
その土地は信者も少なく、同じ年頃の二世の子どももほとんどいなかった。

両親は周りの環境に焦ったのか、子どもに対し世の中のものを厳しく「制限」をするようになった。

この宗教は元々恋愛禁止だが、信者二世への恋愛制限は更に厳しい。
それは「神の血統として新しく生まれ変わった子どもが再び堕落(一般人と性交渉)した場合、一族もろとも地獄の底へ堕ちる。」という教義があるからだ。
つまり子どもが道を逸れた場合、自分達の信仰が無に帰すどころか更に悪い方へ行ってしまうのだ。
子どもが自分達と同じように教祖に決められた結婚を受けるまで、清い身を保たせなければならない。
神の子が一般人とセックスしたら全てが終わりなのだ。
それ故、子どもを世間の誘惑から守り抜くことに躍起になる。
何せ人を想うだけでも罪なのだ。想うことは最終的にセックスに繋がるのだ。
溢れかえる「偽りの愛」の芽を摘み取るべく、世の情報をシャットアウトする必要があるのだ。

物心ついた時に親からはじめに教えられたことは、
「人を好きになってはいけない。好きになられてもいけない。」ということだった。
しかし3・4歳の幼児に恋愛感情の「好き」という感情が理解できるはずもなく、その言葉に対する恐怖心だけが刻まれた。

小学校に入った頃、同級生が戯れで「○○くんがね、○○ちゃん(私)のこと好きなんだって」と何気ない一言を
口にしたことがある。その瞬間
「ああ、さてはこれが『絶対にいけない』といわれていたことか。
どうしよう、しかられる。」という罪悪感に苛まれ動悸が止まらなかった。

また、交遊関係や娯楽も厳しく規制された。
男の子とは遊んではいけない。仮に自宅に電話なんか来た時は即切られる。
漫画やアニメ、特に少女漫画やTVドラマは恋愛要素が出てくるため全面禁止。
当時女子の間で流行っていたセーラームーンなんてもっての外。
少しでも恋愛要素がある漫画雑誌を買うと、検閲の末そのページだけきっちり破られていた。
恋愛と性に対する異様な背徳感はじわりじわりと蓄積され、根底にしっかりと根付き育まれていった。

今思えば特に母は教義の妄信に加え、異性関係に極端に潔癖な人だったのだと思う。
自身も夫との関係の葛藤に苦しみながら、子どもを「有害情報」から守り抜くことで精一杯だったのだろう。

(余談だが、検閲の厳しい頃に唯一許された漫画が「ドラえもん」だったため、弟とわたし中古屋に通い詰め、長年掛けてコミックを全巻集め、台詞を一字一句暗記するほど読み返し、今日まで引き摺る重度ドラヲタになった。)

それでも、その頃は制限自体を辛いと思ったことはなかった。

一番辛かったのは、世間と家庭の狭間で生きなければならなかったことだ。
何せ家の中と外とは180℃まるっきり異なる価値観なのだ。
毎日、家の中と外、白と黒の間を行き来しなければならない。
友達は当たり前のように気になる男子の話をするし、
昨日観たドラマやセーラームーンの話で盛り上がる。
家庭ではそんな話題は口にも出せないし、神様神様と慕っていなければならない。
友達と話は合わないし、周りに相談できる人間はいない。
丁度その宗教がマスコミに毎日のように騒がれていた時代だったので、
親がその宗教を信仰しているなど、口に出すことも恐ろしかった。

ただ、その頃はまだ自らのホームベースは家庭や組織の教会にあった。
教会にも定期的に通っていたし、家庭は教会の価値観を中心とし、それなりに親にも愛されていたのだ。
あくまで間違っているのは「外の世界」であり、神様や教祖が慕うべき絶対的な存在であることに変わりはなかった。
周りの子と違う「二世であること」の優越感に必死で縋りながら学校へ通っていた。

しかし、成長し少しずつ自らの世界が広がっていくにつれその宗教の「正しさ」と「絶対性」に疑問を抱くようになっていった。

2 両親が教祖によって結ばれるまで。

初めましての方はこちらからどうぞ。↓ 

はじめに

ところで、両親は同じ宗教を信仰してたとはいえ、かなり離れた場所で生活していたのだ。
互いのことも全く知らない。そんな二人が何故出会い、結婚したのか。

その宗教が最も重んじていたものは「家族」だった。
とはいっても、非常に極端な家族観を持つ。
ベースはキリスト教なのだが、聖書に特異な解釈を加え独自の教義を展開している。
「神がこの世界を作った後、人類始祖が犯した罪によって人間は堕落した。
その結果、神の意に添わぬ悪魔に支配された人間達がはびこるのがこの世界である」
という世界観がまず前提として存在する。
よって、この悲しみと悪に満ちた世界と人間を救い、正さねばならない。
色々な要素はあるものの、真っ先に正さねばならぬのは「家庭」だと主張する。
堕落した人間が本来の神に近い存在に戻るためには、神の意に沿った「理想家庭」を作り、
「神の血統」に転換された子孫を永劫繁栄させていく必要がある、としているのだ。

しかし、堕ちた身の人間が自分の好みで相手を選んでは意味がない。
自分勝手に相手を想うことは、偽りの愛である。
あくまで「神」の意思が介在した愛や結婚でなければ救いはないのだ。
よって「より一層神に通じた教祖が相手を決める」という独自の結婚システムがあり、それ以外の結婚はけして認められなかった。
自由恋愛は堅く禁じられており、時代遅れもいいところの処女厨…もとい、純潔至上主義。
婚前性交渉=即地獄行き。恋愛感情を抱くことすら罪。
もちろん同性愛も罪。ついでに酒・タバコも全面禁止。

恋愛と性に関しては、新興宗教の中では最も厳しい部類に入るだろう。

(実際はうら若き男女が一つ屋根の下寝食を共にして何も起きない方がおかしいので、
恋愛関係になり駆け落ちするカップルも少なくなかったようだがwwwwwクソワロス)

個人的見解になるが、わたしがこの宗教の異常性を最も感じるのはこの部分だ。
そもそも人を好きになったり好きな人とセックスしたいと思う気持ちはごく自然のものである。
おまけに結婚など現代日本においては個人的問題。
その不可侵領域に土足で介入し、人を想う気持ちまで重罪として禁じ抑圧する点に、信者を思うままにコントロールしようとする魂胆や
宗教としての不健全さが露呈されている。
抑圧された思いは必ず別な方面で歪みを生じるからな。

さてと、両親の話に戻ろう。

縁もゆかりもましてや会ったこともない二人だったが、ある日突然教祖によって「夫婦」として結ばれた。
彼らにとって理想の家庭を築くための第一歩として喜ばしいことのはずだったが、正直な所、出会った当時の互いの印象は最悪だったようだ。

何せ「本来なら最も嫌いなタイプ」と漏らすほどの水と油のような性格だ。
父は複雑な家庭環境からか元の素因があってか、とにかく風変わりというか常軌を逸する言動に出る人だった。
母はとにかく純粋で男女関係に潔癖。最初の数年間は父の顔を見ることも嫌だったそうだ。

そんな二人がはじめからうまくいくわけがない。
二人とも「何でこんな人と…」と悩んだようだ。
ただ、最も敬愛する教祖が選んでくれた相手である。
この結婚を破棄することは教祖のみならず自らの信仰をも裏切ることになるのだ。
熱心な信者だった彼らは素直に教祖の選択を受け入れた。

両親を率直に「凄いな」と思うのは、これほどまでに生理的に受け付けない相手と30年間離婚せずに添い続けたことだ。

その上彼らは長年の葛藤の末に、何者にも壊せぬ絆を手に入れた。
とても仲が悪く、わたしが物心ついた頃には包丁を向けるほどの夫婦喧嘩が日常茶飯事だった両親が
今では「とても愛し合っている」という。
その言葉に嘘偽りはない。
だが、彼らを結んでいるものは普通の愛情なんて生ぬるいものではない。

いくたび家庭崩壊の危機に陥ろうと、二人を唯一繋ぐ信仰心と服従心にすがり関係を維持してきた。
その度に両親の信仰心は強固になっていった。
そしていつの間にか、互いになくてはならない存在になっていたのだ。
まさに幾多の戦を共に乗り越えてきた「戦友」という表現が相応しい。

ひとえに信仰が産んだ結束なのだと思う。

そんな両親を見て育ってきた身としては、ただただ
「宗教って凄いんだなあ。人間を180℃変えるんだな。」という感慨を禁じえないのだ。

もちろん、良い意味でも悪い意味でも。

1 両親が宗教に出逢い、入信するまで。

わたしの両親は、とある新興宗教の熱心な信者である。

キリスト教や仏教などといった既存宗教に比べ、異端的教義であること、反社会的な資金集め・勧誘の仕方などから、社会からは「カルト」と揶揄されることが多い。
一時期はマスコミに捻じ曲げられた姿を頻繁に報道され、悪評が根付いた。
今でこそ認知度はぐんと落ちたが、相変わらず世間から疎まれる存在であることに変わりはない。

この宗教が全ての発端だった。
まずは、両親が信仰するに至った経緯について書いてみたい。

そもそも現状に満足し、幸せを感じている人は新たに宗教にはまらない。
何らかの障壁にぶつかった時に形而上に思いを馳せ、救いを求めるのだ。
両親にも、宗教に没頭せざるを得なかったそれなりの背景と理由があった。

母は高校卒業後、東北の片田舎から単身上京し大学病院に勤めた。
故郷を遠く離れ、頼る人もおらず寂しさが募ったのだろう。病を発症したことも重なり、精神的に不安定な時期が続いたようだ。
勤め先の病院で遺体のホルマリン漬けを眺め「死んだらこんな物体になってしまうのか」「何故人は生きるのか」と悩み、救いを求めて近所のキリスト教会に通った。

だが、キリストの教えが母を満たすことはなかった。
聖句は貧困や病気などの悩みには解決を示してくれるが、母の求める「人生の目的」や「世界の真理」を見出すにはインパクトが足りなかったようだ。
ただ、聖書の解釈の違いによる教派は無数にあるようなので、その時に通った教会が母のニーズに合致しなかった。それだけのことだろう。

一方父は、家族や親戚に障害者が多く、父の兄弟などは全員知的障害や精神障害を有していた。
祖父は若くして他界し、祖母も常識外れの人間で養育能力を持たなかったため家族に頼ることもできず、一人で家計を支えながら随分と苦労したようだ。

両親はそれぞれの立場で悩んでいたが、とある機に出会ったその宗教に救いと真理を見出し、何の疑いを持つこともなく入信した。
彼らが目の前の苦しみを帳消しにし、人生を掛けるほどの生きがいを見出すには十二分に足り得る教義だった。

その日から、彼らの生活はガラリと変化した。
仕事を辞め教団の施設に泊まり込み、他の信者達と寝食を共にし、昼夜問わず資金集めのための物売りや布教活動に勤しんだ。
彼らが出会った「真理」は、時を経るごとに確信に変わっていったようだ。
人生に絶望していたはずの彼らは、人が変わったように明るく活動的になったという。




物事はタイミングが全てだと思う。

数多ある宗教の中で、両親がそれを選んだ理由はただ一つ。
その時に彼らが求めていたものに合致したからだ。
心が虚ろになった時に再び心を満たすものは、何も宗教でなくても人でも趣味でも何でも良いのだ。
他のものでも良かったのに、そのタイミングでそれに出遭ってしまったのはある意味運命だったのだろう。

ところで、自分の子どもが仕事を急に辞め、怪しげな宗教に没頭し始めたとしたら普通の親は焦るのではないだろうか。
これほどまでに評判の悪い団体だ。入信したと気付いた時点で脱会させようと躍起になる親兄弟も多く、家族の会まで存在する。
金銭トラブルが多い組織のため、弁護士に依頼した民事訴訟も多い。
だが、両親…特に父に至っては心配するような親などいなかったため、余計に活動に専念できたようだ。

彼らに向けられた世間の目は冷たかったが、風当たりが強くなればなるほどますます信仰心を深め、活動に没頭していくようだった。