3 「神の子」として生まれ、育つ。


やはり生来の不精って治らないんですね。

ブログはじめるお!と意気込んだはいいものの早速長い事更新が滞っていました。忘れ去られた頃に再開します。

まあ、その前に少し閑話休題
どうやら現役信者の方も見てくれているようなので、ちょっと事前に弁解しておきます。




教義の説明をかなり端折ってしまったので、
この宗教をあまり知らない方に誤解を与える面があるかもしれません。
更に教義自体の理解も不十分ですし、どうしても私情を挟んだ悪意のある表現をしてしまうのは事実です。

ただ、このブログの目的は実際の姿や教義を公平に伝えることではなく
「とある新興宗教信者の子どもとして産まれた」わたしが抱いだ悩みを主観的に記すことにあります。
ですから敢えて宗教名を伏せています。……まぁ、すぐに特定できそうですが。
いずれにせよ、あくまで全て個人の主観であることをご了承ください。

この宗教そのものや信者の方々を否定する気は毛頭ありません。
宗教自体は個人の心の問題ですから、正誤や善悪で図れるものではないと思います。
一つの事象でも解釈は人の数だけあります。

それを踏まえた上で、生暖かい目で見守ってくだされば幸せに思います。
それでは前回の続きを。


両親が互いの結束を固め始めたきっかけは、わたしと弟が産まれたことだった。

教祖によって結ばれた信者同士から産まれた子どもは「悪魔の血統か
神の血統に転換された子ども」として組織内の人間から特別視され「二世」と呼ばれる。

両親も周りの信者も、わたし達の誕生をとても喜び、目に入れても痛くないほど溺愛した。
我が子が生まれただけでも嬉しいのに、何せ“人類史上初めての原罪のない「神の子」”なのだ。
二人の間にあった確執は、信仰の結実としての二世が産まれた事で少なからず解消されたようだ。

幼い頃住んでいた土地は信者数も多かったため信者専用の寮があり、小学校に入学するまでの期間はその寮に住んでいた。
寮内には複数の家族が住んでおり、同じ年頃の子ども達と兄弟のように毎日仲良く遊んだ。
寮そのものが一つの家族のように和気あいあいとした雰囲気だった。

宗教による生活習慣は産まれた頃から根付いており「信仰」に似たものは
何の疑問もなく育まれていった。
神様や教祖を慕い、毎晩お祈りをして、周りの皆と神様を讃える歌を歌い、ニコニコして過ごした。

両親や周りの大人は「やっぱり神の子は違うね」ととても可愛がってくれた。
とても幸せだった。
拠るべきものはただ一つであり、「善か悪か」「白か黒か」しか存在しない世界だった。

だが、ある時から私達が住む世界の外にもう一つの世界が存在することを知った。
神様を知らない人たちが支配する悪の世界という。
その世界にある、つまりは一般社会にある幼稚園に通わなければいけなくなった頃から生活は陰りを帯びはじめた。

初登園の日、周りの子と一言も口をきくことができなかった。
「わたしは神の子なのに、こいつらは悪魔に支配された子なんだ。」
という自意識で周りと関わることが出来なかったのだ。
思うに、あの頃からとても自意識過剰で不器用だったのだろう。
ひとたび寮に帰ると別人のように明るく他の子ども達と話していたという。

結局、卒園の日まで幼稚園の友達は一人もできなかった。

小学校に上がる頃には、親の都合で遠く離れた地方に越すことになる。
その土地は信者も少なく、同じ年頃の二世の子どももほとんどいなかった。

両親は周りの環境に焦ったのか、子どもに対し世の中のものを厳しく「制限」をするようになった。

この宗教は元々恋愛禁止だが、信者二世への恋愛制限は更に厳しい。
それは「神の血統として新しく生まれ変わった子どもが再び堕落(一般人と性交渉)した場合、一族もろとも地獄の底へ堕ちる。」という教義があるからだ。
つまり子どもが道を逸れた場合、自分達の信仰が無に帰すどころか更に悪い方へ行ってしまうのだ。
子どもが自分達と同じように教祖に決められた結婚を受けるまで、清い身を保たせなければならない。
神の子が一般人とセックスしたら全てが終わりなのだ。
それ故、子どもを世間の誘惑から守り抜くことに躍起になる。
何せ人を想うだけでも罪なのだ。想うことは最終的にセックスに繋がるのだ。
溢れかえる「偽りの愛」の芽を摘み取るべく、世の情報をシャットアウトする必要があるのだ。

物心ついた時に親からはじめに教えられたことは、
「人を好きになってはいけない。好きになられてもいけない。」ということだった。
しかし3・4歳の幼児に恋愛感情の「好き」という感情が理解できるはずもなく、その言葉に対する恐怖心だけが刻まれた。

小学校に入った頃、同級生が戯れで「○○くんがね、○○ちゃん(私)のこと好きなんだって」と何気ない一言を
口にしたことがある。その瞬間
「ああ、さてはこれが『絶対にいけない』といわれていたことか。
どうしよう、しかられる。」という罪悪感に苛まれ動悸が止まらなかった。

また、交遊関係や娯楽も厳しく規制された。
男の子とは遊んではいけない。仮に自宅に電話なんか来た時は即切られる。
漫画やアニメ、特に少女漫画やTVドラマは恋愛要素が出てくるため全面禁止。
当時女子の間で流行っていたセーラームーンなんてもっての外。
少しでも恋愛要素がある漫画雑誌を買うと、検閲の末そのページだけきっちり破られていた。
恋愛と性に対する異様な背徳感はじわりじわりと蓄積され、根底にしっかりと根付き育まれていった。

今思えば特に母は教義の妄信に加え、異性関係に極端に潔癖な人だったのだと思う。
自身も夫との関係の葛藤に苦しみながら、子どもを「有害情報」から守り抜くことで精一杯だったのだろう。

(余談だが、検閲の厳しい頃に唯一許された漫画が「ドラえもん」だったため、弟とわたし中古屋に通い詰め、長年掛けてコミックを全巻集め、台詞を一字一句暗記するほど読み返し、今日まで引き摺る重度ドラヲタになった。)

それでも、その頃は制限自体を辛いと思ったことはなかった。

一番辛かったのは、世間と家庭の狭間で生きなければならなかったことだ。
何せ家の中と外とは180℃まるっきり異なる価値観なのだ。
毎日、家の中と外、白と黒の間を行き来しなければならない。
友達は当たり前のように気になる男子の話をするし、
昨日観たドラマやセーラームーンの話で盛り上がる。
家庭ではそんな話題は口にも出せないし、神様神様と慕っていなければならない。
友達と話は合わないし、周りに相談できる人間はいない。
丁度その宗教がマスコミに毎日のように騒がれていた時代だったので、
親がその宗教を信仰しているなど、口に出すことも恐ろしかった。

ただ、その頃はまだ自らのホームベースは家庭や組織の教会にあった。
教会にも定期的に通っていたし、家庭は教会の価値観を中心とし、それなりに親にも愛されていたのだ。
あくまで間違っているのは「外の世界」であり、神様や教祖が慕うべき絶対的な存在であることに変わりはなかった。
周りの子と違う「二世であること」の優越感に必死で縋りながら学校へ通っていた。

しかし、成長し少しずつ自らの世界が広がっていくにつれその宗教の「正しさ」と「絶対性」に疑問を抱くようになっていった。