5 最大の禁忌を犯す。

大学を卒業した後も実家から通える距離の職場に就職し、両親との同居が続いていた。

就職して間もなく、わたしはあれほど両親から口酸っぱく言われていた一つのタブーを犯した。

親の宗教の悩みについて初めて深く相談に乗ってくれる男性に出会い、日常的に相談を重ねる中でいつの間にか恋愛感情に近いものを抱くようになっていった。
親の監視を潜り抜け何度か会っていたが、ある時彼と付き合っていることが携帯を盗み見た母にばれてしまったのだ。

私達のような二世信者が異性と付き合うことは最大のタブーである。

両親はこれまでにないくらい酷く激昂し、怒り狂い泣き叫んだ。
携帯は即没収され、携帯電話会社に掛け合われ着信発信履歴を調べられた。
相手には「娘を誑かしやがって、この悪魔が!」「会社にいられなくしてやる!」と電話で罵倒し、相手の会社にも電話を掛ける勢いだった。
見たこともない両親の姿を前に、ただ狼狽し平謝りをするしかなかった。

仕事の終業時間になると職場の駐車場で待ち伏せされファミレスにて詰問が始まる。
そもそも付き合っているのか、何回会ったのか、どこまで関係が進展しているのか、セックスはしたのか。激しい口調で興奮しながら問い正された。

特にセックスしたのかどうかは何度も執拗に聞かれた。
実の父親から「男はとにかく挿れたいもんなんだよ」という台詞を聞いた時は吐き気を催した。
前述した通り、結婚相手以外とのセックスが最大の禁忌である教義ゆえ「物理的に挿れたのかどうか」それがひたすら重要なのである。
二世である娘が一般人とセックスしたら自分達の築いてきた救いの基盤は全て無に帰すのだ。
彼らが形相を変える気持ちも分からないでもない。

母もよほど苦しかったのだろう。
「お前がもし堕落(セックス)したら私達だけじゃない、先祖も一族も皆が地獄に落ちる。地獄の底の地獄だぞ!」「この色狂いが!キチガイが!人間のクズが!」
毎日毎日、家に帰ると執拗に罵倒を受けた。行動は逐一監視され、「お前に探偵をつける」と脅される。

この期間中、何度も親とわたしとの間で話し合いの場を持った。
これを好機ととらえ、両親には宗教に対しての率直な思いを何度もぶつけてみた。
「今まで宗教がらみでとても辛い思いをしてきたこと。恋愛がしたかったわけではなく、教会と親に関しての相談相手が欲しかったこと。わたしはこの宗教の信仰を持つつもりはないこと」
言葉を選び彼らに伝えたが、両親が理解を示すことはなく話はいつまで経っても平行線だった。
まずもって、神の血統であるわたしが一般人のように生きるなど考えられないことらしかった。
彼らの意識はただ一点のみに向いており、ヒステリックに堕落(セックス)の恐ろしさを延々と説いた。

絶望と諦観だけが体中を埋め尽くしていった。
ああそうか。この人達にとって一番大切なのはわたしが処女だという事実か。
一本の道。それしか許されないのか。
となると、死ぬまで娘が処女だと思わせ続けることが今出来る最大の親孝行か。
せめてこの人達が死ぬまでは「祝福」のみならず一生結婚などするものか、と心に誓った。

父は仕事もせずわたしを監視する日々で、収入も少なくなっていった。

ここまで読んで、何か違和感を感じないだろうか。

その頃わたしは22歳。大学を卒業したばかりとはいえ一端の成人であり、微力ながら収入もあった。
当時交際していた彼は、両親に嫌がらせを受けてもわたしから離れず辛抱強く話を聞いてくれた。
「俺の所に逃げてきなよ」と何度も言ってくれた。

普通の人間であれば、ここで家を出るらしい。



わたしには一人弟がいるが、弟には何度も「姉はバカなの?何で家出ないの?あのカルト親に話通じるわけないじゃん」と言われた。
弟は私と違ってとても賢かった。彼も、宗教の信仰は皆無であるが、早期に両親や宗教の異質性を見極め、大学に入る頃には完全に距離を置いていた。
とにかく親元を離れたかったらしく、さっさと遠方の大学院に進学してしまった。

だが、わたしにその力はなかった。
まだ学生である弟もいる上、騒ぎを起こし家計を火の車にした責任を感じただ収まるのを待つしかなかった。

…というのは只の表向きの理由で、これ以上の変化を起こすことが怖かった。
異性と付き合ったことや親に嘘をついてまで会ったり連絡を取り合っていたことは「もう教会に関わりたくない」という意思表示であり、小さい反逆のつもりだった。
しかし結果的には予想以上に両親を傷つけてしまった。
大好きな親をこれ以上は悲しませたくなかった。
そして何より、これ以上の何か変化を起こすことが、とても怖かったのだ。

罵倒されながら仕事に行って、帰るとまた罵倒され、それでも隠れながらずるずると相手との連絡を続けた。内容は親や教会の愚痴が殆どだった。
相手は何も言わずに聞いてくれたが、最終的に分かり合えることはなかった。
蓄積されてきた恋愛への恐怖は予想以上のもので、最初から最後まで純粋な恋愛感情を抱くことは出来なかった。
彼を心の拠り所とし大切な存在と感じていたにも関わらず、最後まで「これは恋愛なんかじゃない」と自らに言い聞かせていた。

恋愛沙汰で家族を騒然とさせた数年間はとても辛く苦しい期間だった。正直、思い出したくもない。
その間に父のリストラなどが重なり、実家を出ることは更に困難を極めた。

母は時折思い出したように「また罪(男女問題)を犯してるんじゃないか」「あの時あんなに苦しい思いをさせて」と私を問い詰めた。
彼女にとって、穢れのない神の子のはずの娘が勝手に堕落した世界の恋愛などに身を投じたことは相当のトラウマになっているらしかった。

20代半ばを過ぎると、周りの友人は次々に結婚していった。
彼氏を親に紹介したり親に祝福されながら結婚している友人を見ると純粋に羨ましくもあった。

両親は友人の結婚の話を聞くと「神様を介さない一般の結婚なんて最悪だ」「あんなのすぐに別れる」と痛烈に批判した。
また「貴方の相手は決まっている」「だから祝福(二世同士の結婚)を受けられるように、早く教義を学びなさい」と繰り返した。

将来的な事を考えればこのまま独身を貫くのは不安があったが、祝福も一般の結婚もどちらも考えられなかった。
一般の恋愛結婚を選べば大好きな両親を絶望の底に突き落とす。
何より恋愛はもうこりごりだった。
前述したトラウマに加え、相手が一般人の場合は相手側に掛ける迷惑とリスクが大きすぎる。

だが、祝福を選べば教会とのパイプが強固になる。何より私自身の信仰心が皆無なのだ。

恋愛・結婚うんぬんよりも何よりも実家を出て一人暮らしし、自活するのが先決だという結論に達したが、わたしは未だにそれを実現できていない。
表向きは父の離職の多さなど実家の経済状況を盾にし、実家に居続けている。