4 思春期におけるアイデンティティの揺らぎ・気づき。

中学・高校に進学すると、教会への足が段々と遠のいて行った。

礼拝のある日曜日も勉強や部活等で忙しくなったことや、教会に同じ年頃の二世の友達もいなかったことなどが理由だった。
また生活の中で学校や友人との関わりなど一般社会の比重が大きくなる中で、段々と親や教会への疑問も芽生えていった。

「そもそも、教会が言っていることは本当に正しいのだろうか。」
「神様は本当に存在して、教祖は救い主なのだろうか。」
「わたしは周りに比べ特に秀でている訳でもないのに、そんなに価値のある人間なのだろうか。」
どれだけ考えてもわからなかったが、二つの世界を行き来しながら二つの顔を使い分けることが辛いことは変わらなかった。

小さな違和感の芽は年を経るごとに膨らみ、教会への嫌悪感が強まっていった。
両親は恋愛のタブーすら破らなければ、イベント時以外は無理に教会に連れて行くことはしなかったが、時折自宅で教義の勉強をしたり、修練会と呼ばれる泊りがけの勉強会には参加しなければならなかった。
常に外と内との狭間、いわゆるグレーゾーンで揺れている状態だった。

組織への献金と父の仕事の不安定さにより家計は常に火の車だったが、両親は私と弟を高校・大学まで進学させてくれた。その点は感謝してもしきれない。

最初の転機が訪れたのは大学に入学した後だった。

地元の公立大学に進学したため相変わらず実家暮らしではあったが、大学でPCが使えるようになり、インターネットでこの宗教に対する世間の一般的な評判を知ったのだ。
世間での評価はあまり良くないであろうことは薄々感じていたが、実際ネットに広がっている酷評は想像を上回るものだった。
「破壊的カルト」「洗脳」「詐欺行為」といった言葉が縦横無尽に巡り、教祖家族の実態を含め真偽の入り混じった誹謗中傷が書かれていた。
思えばネットには中立的な情報は少なくほとんどは反対派が書き連ねたものであったのだろうが、頭を打ち砕かれるほどのショックを受けた。

小学校に入学して間もない頃、芸能人が続けざまにその宗教に入信しマスコミに騒がれ、母親が「あんな根も葉もない事をテレビで流して…」と毎日泣いていたことがある。
大好きな母親を泣かせる「外の世界」に憤りと哀しみしか覚えなかった。
その頃の気持ちが蘇り、自らの出生を、はたまた存在をも否定されている気分になった。
まだ心のどこかで自尊心を保つために縋っていた「神の子」であることのアイデンティティーが、音を立てて崩れていくようだった。

わたしは熱心な信者同士から産まれた。
言い換えれば、この宗教がなければ産まれてこなかった。
両親はたった一つの事を願い、わたしや弟をこの世に生み出した。
だが当の宗教は世間ではこんなに悪名高く、こんなに被害者がいて、家族の会まであって訴訟も多い。

何が間違っていて、何が正しいのか。

小さな頃から様々なことを制限され、親の監視下で「神様が喜ぶように」「神様の御心に添うように」と刷り込まれ自らの自由意思などなく抜け殻のように生きてきた。
母のように好きでもない男と結婚させられ、一生この宗教に縛られて生きていくのだろうか。

何のために生まれたのか。何のために今まで生きてきたのか。
これから、どうやって生きていけばいいのか。

入り乱れる情報のように気持ちが錯綜した。

悩んだ末に、相談相手を求め大学の信頼できる先生に何度か思いを吐露したことがある。
しかし皆「親の宗教ごときで何をそんなに悩んでいるのか。自立すればいいだけだ」「親は親。貴方は貴方。最終的には貴方が決めることだから」と口を揃えた。
今思えば至極正論ではあるのだが、長年味わってきた苦しみと葛藤への結論がその一言で済まされてしまうことに納得がいかず「どうせ皆わたしの気持ちを分かってくれない」と落胆し、更に内に籠っていった。
何人かの友人に家庭の悩みを話したこともあった。彼らは私の理解し難い話を最後まで真剣に聞いてくれたが、「かわいそう」「宗教の問題は難しいよね」と気まずそうな顔をするだけだった。

両親に葛藤を抱いている率直な思いをぶつけたこともある。
だが、話は全く通じなかった。
少しでも教会を否定する言葉を漏らすと「お前は神様の願いに答えず、自己中心的に生きるつもりか!サタン(悪魔)の考え方だ!」と鬼の形相で怒り狂った。
こうなると全く話は通じず、教会内でしか通じない用語を持ち出し、教会内でしか通じない価値観で説教を始められる。
「言葉は通じるのに話は通じない」という状況は不思議な徒労感を産むものだ。
何度も両親との「話し合い」を繰り返したが、得られるものは何もなく「ああ、大切な肉親なのに、この人達とは一生分かり合えないのか。」という諦観と絶望が増すだけだった。

長期休暇中には何度か強制的に泊りがけの修練会に参加させられた。
学生の時分は経済的に依存しているため、なかなか親にも逆らえない。
「(修練会に)行かないと学校やバイトに行かせない」と脅されると、従うしかなかった。
両親にしてみれば、成長していく娘が一般社会に身を置いているのにもかかわらず、いつまで経っても自らと同じ信仰を獲得しないことに焦っていたのだろう。
しかしあくまでも修練会への参加動機は「親に言われたから」であり、教義を聞いても枯渇している心が潤うわけでもなくただ教会や親への反発心は強まっていくばかりだった。



宗教への混沌とした思いがようやく氷解したのは、大学を卒業する少し手前の頃だった。

大学四年の一年は国家試験や卒論など様々な事が重なり大変忙しい時だった。
だが、それ以上に精神状態は最悪で将来に何の希望も見いだせず「一生この宗教に縛られて生きていくのか」という思いに縛られていた。

大学四年の冬、世界中から多くの信者が集まる大規模な集会が海外で行われ、家族と共に参加していた。
巨大なホールの中で大勢の信徒ともに、虚ろな目をしながら全く心に響かない指導者の説教を聴いていた。

指導者は話の中で何度も「一つの思想を持ち、この堕落した世界を統一する」と説いていた。
たった一つの絶対的な「理想」に向かう、善と悪の二つしか存在しない世界。完全なる勧善懲悪。
ふと考え直した。
世界には数えきれないほどの人がおり文化があり思想があるのに、それを統一?世界が平和になるためはそれしかない?そもそも、そんなこと本当に可能なのか?

何かが違うと確信した。

ああそうか。
「絶対的」なものなどないのだ。
わたしが今まで真実だと思ってきたものは、全てある意味虚構だったのだ。
いや、無論真理はある。だけど、絶対的に普遍的な真理などないんだ。
無数にある「真理」の中で何を選び取っても間違いではなかったのだ。

酒を飲むことも、人を好きになることも、結婚して子どもを作ることも、自分の好きなことをして、好きなように生きることも。
選び取った後の世界では、ごくごく普通のことだったのだ。
そうか、わたしは血統が転換された神の子でもなんでもない。
その価値は組織内でしか意味を持たず、対外的には信者同士から生まれたただの人間だったのだ。

憑き物が取れた思いだった。
そして「この教えを信奉することは一生無い。」「絶対的なものを信奉することはない。」と確信した。
自分が特別な存在ではなくただの人間だと知ったとき、刷り込みから解き放たれ、とても精神的に自由になった。

外の世界は教会や親の言うような、そんなに悪いものではなかった。確かに哀しいことも多いが、多様性を許容することも人としての成熟なのではないのか。
世界には確かに、自分の力ではどうしようもないことも存在するのだ。
教会の掲げる世界の暗部を須らく正そうとする高尚な理想は、わたしにはどうしてもしっくり来なかった。

洗脳から解き放たれたのは、大学で色んな考えを学び様々な人と関わったことが大きいと思う。
今思えばこのモラトリアム期間は、社会という大海への航海に出る準備期間であると同時に宗教の呪縛から解き放たれるために必要なものだった。ただ、もっと早い段階で気付けばよかったと悔やまれるが。

ちなみに、信者が知を得ること、つまり様々な情報を得て「賢く」なることはカルトにとって脅威のようだ。
特に両親のように古株の信者は、自ら外界からの情報を規制し信仰心を貫いているように思う。
実際両親が教会の書籍以外の本を読んでいるところを見たことがない。
彼らにとってこの宗教の教義は揺るがない真理で、世界のすべてであり、他のものなど心を惑わすだけで読むに値しないのだ。


さて、教会や宗教への思いはある程度踏ん切りがついたものの、
わたしが宗教から距離を置くごとに両親との確執は酷くなり、関係は年を経るごとにもつれていった。